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ひとつの夢のカタチ
先日、ひとつの舞台を終えました。
第一回「観音舞」公演。
舞を見ていると、からだがほぐれていく。
それがはじめて見たときの感覚。
舞道 観音舞 葉月の会
それはひとつの夢のカタチ。
だれかの夢が叶うことに、微力なりにでも力添えできることはうれしいこと。
それは自分のそれ以上かもしれない。
出会わないように
ネット上の場の発信は、だれに何を伝えたいのか、ときに分からなくなるときがあります。
最初の頃のミクシーの、ゆるやかで急速な出会いは心地がよかった。
実際に出会ってるけど出会ってない人とのつなげツールとして。
共有背景の近さから秘孔突きあってユーモア百裂拳で笑気絶しそうな日々。
安心して解放しきってた週末。
たくさん出会って刺激投げ合って。
でもいつのころか、だれかと出会わないようにしてきた気がする。
もう十分でしょって。
出会い過ぎそうでこわくなってしまったというか、キャパオーバーを察知したとうか。
「ダンバー数」読んでからなお一層。
新たな出会いより、あの人どうしてるかなって。
観音舞は見るものをほぐす
その後に選んだ仕事柄、調べ物をしてることが多い日々。
その過程での発見や驚きも薬事法の関係で伝えることはできず、どんどん閉口。
次第に内観の先に広がる世界に浸っていくしかなかった。
かたいかたい殻の中。
そんな自分が「観音舞」を通じてほぐされた気がすします。
以前の自分がメリメリって出てきた感じ。
出会うことを本当に楽しんで、何かを伝え合っていたころの自分。(ちなみに自分は舞ってないですが( ̄Д ̄)ノ)
刺激のタイムラインと風化のいたちごっこ。
世知が辛すぎて還元力ありすぎる世の中で、どっかで感情が他界しがち。
けれど、もったいないオバケがフツフツと沸いてきて、心境の変化です。
出会いを祝福できる自分でありたい
ここ数年たくさんの知人友人が大きな変化を選んだり捨てたりしてるのを横目で見てきたけど、自分にはこういう見えないカタチでやってきました。
もっと出会って知りたくて、そして伝えることをサボらないように。
自分のやりたい道は進みながらも、だれかの力添えもジャシジャシやっていきます。
だってこんな世の中だもん。
日々是祝福。
※写真は自分からの舞台目線。
時間の変化が自然光に表れる生きてるような舞台。
素晴らしい体験でした。
「観音舞」はこれからはじまります。