行ってまいりました。
というより、体感してまいりました。
「加藤訓子」。
打楽器演奏者のパフォーマンスと聞けば、大体どんなものか想像つくかと思いますが、自分自身の想像は、遥かに超えたパフォーマンス。
彼女自身の経歴はこれまた素晴らしくエリート?なのですが、そんな紹介はどうでもよくなります。
僕自身が圧倒されたのは、リズムのスピードや正確さ、技術といったものより、彼女自身の「存在」といったほうが正確かもしれません。
正確さは電子音でも可能。でも、この場合「加藤訓子」というフィルターを通して、一叩一叩が彼女自身であって、正確さやリズムの変化が彼女の性格そのもの。
今回の演出家、宮城聰さんhttp://www.kunauka.or.jp/が絶妙な表現で、パーカッショニストと加藤訓子を表現してる。
以下、要約。
『パーカッショニストはその人の魅力の有無があからさまにさらけ出される。それは「身体」それ自身の魅力であり、人間の奥底にある「生命の喜び」に関する何かである』
『生命体には、心臓というリズムボックスが必ず内臓されている。このドラムが鳴り続けることが生きているということであり、鳴りやむときが死ぬときである。優れたパーカッショニストとは自分の生命に敏感な人のことであり、そうした生命の運動を眼前にした観衆も、自分自身の生命に敏感になってゆくのだ。加藤訓子の身体からあふれ出てくる魅力とは、つまりはすべての人の中にある生命という妙なる楽器を共振させる力のことなのだ』
(◎演出家ノートより)
その日、共振した僕らの楽器は、無意識に奏でられていた。きっとこの日のマリンバとキュートなマラカスは忘れない。来年も1月に早速あります。2007年1月27日(土) 14:00開演 「加藤訓子 スピリット オブ パーカッション」@ミューザ川崎