第二の家があるとしたら、病院。どれだけ泊らせてもらったか分からない。
先日、CTの結果を聞きに行ってきました。小リンパ節は認めるけど、胸部リンパ節腫大はないですね。でも肺破けてるみたいですよ、苦しくないですか?
やっぱり!重いと思ったよ。位置はどこですか。このあたりだね、と二人でCTとにらめっこ。
不整形のbulla散在。右気胸出現。右胸腔内頭側寄りに胸水あり。
嗚呼、其処!その辺時々激痛走るんですよ。なんかぶっ刺されるような瞬間的なの。膝が落ちるくらい痛いんですが、その辺て神経どうなってるんですか。
胸膜神経あるから、破けたりふさがったりを繰り返す度に、刺激や圧迫してるのかもしれないね、推測だけど。いや、かなり合点がいきました!いくつかの背部痛や肋間神経痛とか考えてたんですが、ピンとこなくて。推測でもすっきりしました。
こんなやりとり。リンパ腫の話題ほとんどなし。このうえなくありがたいことです。
あれから10年経ちますね。そうですね。定期CTも一度やめますか。そうですね。お互いにこの10年を振り返る。。。
CTスキャンの被曝の危険性はよく耳にするけど、定期的にやってきた。自分の体との会話やその妥当性、あと客観的な現状確認のため。リンパ節の変化や治療による石灰化したがん細胞、それに肺のこともあるので。
しかしまあ、よく破けます。でもどれくらいのサイズ感で空気が漏れてるか、安静次第でいずれ吸収されそうだとか、「こなきじじい」二人クラスの重みと痛みだと血中酸素濃度に影響がでそうだ、とか感覚的に分かります。
東洋医学・代替医療は自分の生活の質を維持していくための軸。だけど、西洋医学を完全否定なんてできません。肺の外科的処置とか痛み止めにはよくお世話になるし。
痛み同様に、かゆみを我慢するのも大変なもの。僕と出会ったタイミングによってはイメージないかもしれないけど、かなりのアトピー症です。アレルギー反応の過敏潜在能力はかなりのハイパーです。治ったとは思ってないけど、今はかなりキレイキレイ。
あの内側からくるピリリ感。体温の変化や食後、1日のバイオリズムでやって来るあいつら。徐々脱ステから完全脱ステに切り替えた時のリバウンドでは、たぶん狂っていたと思う。BUCK-TICKも「M・A・D」で歌っているように。ステロイド。決していいもんじゃないけど、使い方だと思います。
耳にも病気がある。耳管開放症。聴覚的には問題ないのだけど、遠くのお皿とスプーンのカツンって音が間近で飛びこんできたり、ある声の圧力で膜がゆれたり震えたりします。やせ型の女性、ストレスや睡眠不足などが続いたりするとなりやすい病気みたい。中島美嘉さんが活動を休止した理由として世に知られた気がします。
それと腰ね。こりゃきついです。「ペキッ!」とか「ピキッ!」とかやっちゃったときは、おじいちゃん歩きになります。僕が楽器とか重いものを持っているときは決して急かせないでくださいね。
自律神経も失調してるそうです。ただ、もうこれざっくり感満載な病気で現代人なら自律神経ぐらい乱れて当然な世の中だと思うんですけど。。
こないだ西洋医学の医者&製薬会社について、完全否定の話題というか場面がありました。うーん、まあ、大筋共感なんですけど、そこまで否定しなくても。。
重篤な病気になった原因を時代や社会という自分の外に求め、治療方針やお金の流れを否定して。うーん、まあ、大筋共感なんですけど。自分の内(考え方や生活的な癖)は関係ないのかしらと。
僕は選んでCTを受けてきた。対レントゲン被ばく比とか、病院経営の本質話とかあるけど、選んで受けてきた。自分の判断基準もある。なにより担当医との信頼関係もあります。初期治療期、くってかかったこともありましたが、ひとつひとつの対応やざっくばらんな考えも聞けるようになり心の距離も近づいていったんだと思います。
仮に再発したって誰のせいにもしない。結局はひとそのものなんだと思います。担当医が違ったら、経過観察のやり方も通院も拒否してた可能性もあったことでしょう。そもそも代替療法家でも阿漕なひとはいるし。
調子が悪くてその疾患が特定されたとき、なにも考えなければ担当医(病院)の指針で治療法が進んでいきます。そこでなにか考え、それまでを振り返り、調べ始めると、色々な選択肢が広がると思います。
仕事柄もふくめ、日常的に相談を受けることがよくあります。難治性疾患や重篤な方が多いです。一緒に考えることはできるけど、大したことは言えません。だってその人ほどに、その人のこと分からないですから。長年つれそった身体、どんな日常を重ねて、どんな考え方で生きてきたか。それをだれよりも知っているの常に自分自身。聞かれれば自分の考えは答えますが、それがその人に当てはまるかなんて分からない。
「奇跡の○○」についてどう思いますか。これもよく聞かれます。「奇跡の○○」・・・。あれ、ちょっと苦手です。アトピーのとき、散々たらいまわしにあったので。
それよりも自分自身がどうやって生きて行こうかを考えたりデザインする方が大切な気がします。その先に自分に合った選択肢が見えてくると思うので。
即完治を目指すこともいいけど、改善していくに越したこともないけど、あんまり心身に負荷かけて急ぐより、悪化させないということで生活の質を保つこともできます。
これからどう生きて行くかは、これまでどう生きてきたかをよく見ないと分からないと思います。その自分をどう思ってきたか。
もう一人の自分に聞いてみたらいい。自分らしさのヴィジョンが見えてきたら、ひとつひとつの選択にも自分で責任もてるようになると思います。そういう人は強い。「奇跡の○○」を手に入れようと躍起にもならないし、変なお金のかけかたもしない。
肺気胸の苦しさは生化学的。酸素が足りないよー!肺が膨らまなくて痛いよー!って。でも本当に苦しいのは、自分についてる嘘から逃げれなくなったり、カーズみたいに考えるのをやめることじゃないかな。
友人が「人生は壮大な人体実験だと思う」って言ってる。僕も本当にそう思います。この10年、ずっと自分の身体を使って実験をしてきました。弱い部分、制限される部分と一緒にどう理想を生きて行こうかと。
関野吉晴さんの「人がなぜ移住していったのか」って話が大好きです。様々な理由で追い出された弱い人たちが、工夫を重ねて土地に適応し新しい文化を創る。弱い部分が強みとなる可能性。ロマン溢れすぎてて栄養満点!
自分はなにも作っていません。作品も生産物も付加価値サービスもなにも。それでもこの時代の中でなんとか生きていけないか考え続けています。
ただ自分の人生だけはデザインしています。
約束ごとは嘘をつかないこと。あれ、病気の原因だと思うから。
そりゃしんどいときもあるさ。
でも、辛いときこそ笑顔でありたい。
見ないふりして笑うんじゃない。
よく見つめあって笑うんだ。
僕みたいなのが元気に笑って生きていることで、だれかの生きる勇気になる可能性があるから。
心身のなにがしが原因で社会から放り出されたとしても、だいじょうぶ。
そういえる自分でありたい。